2018年 12月 15日
「門信徒物故者追悼法要 & 第6回寺子屋セミナー
前半の「門信徒物故者追悼法要」に引き続き第6回寺子屋セミナーです。

今回も終活について学びました、直葬、家族葬、一日葬、無宗教葬などなど何かしらその言葉だけが一人歩きしだしております。
言葉としては知っていても、その定義や意味、そうする目的は何でしょうか?
この日もクレリ東灘花六総本店 上田充宏様に出向いていただき、直葬、家族葬、一日葬とは?今様の葬儀がどのような内容でどのように変化しているのか、過去何年かのデータを元にともに考えさせていただくことにいたしました。
呼び方は違えども葬儀の大切な意義はみな同じではないでしょうか?
結婚式は早くからその日に向けて計画が始まります、人生の新しい門出を迎えるという慶びを共に祝っていただくという大切な儀式であります。係る費用を中心に念入りに抜かりなく進めてまいります。
しかしながら葬儀は前もって計画するのは躊躇われますね、いや、誰しもできるだけ考えたくはないですよね、いつまでも元気で人生を楽しみたい、限りある「いのち」であると解っているつもりでも本当はそうではない、「いのち」あるのが当然のごとく思っている私、今生の「いのち」を終えることを受け入れようとしない私がここに居ます。
シャカ族の王子であったゴーダマ・シッダールタ出家の因は生・老・病・死であります。私たちは其々が顔が違うように考え方が違い悩みも違っております。小さな悩み、大きな悩み、人に言えない悩み、解決することすらできない悩みを抱えて日々四苦八苦しながら生きています。
その大元になっているのが生・老・病・死ではないでしょうか? 言い換えればお釈迦さまと同じ悩みを抱えているのが私たちだと言えます。即ち仏の教えとは、この私の為の教えではないでしょうか?
信心によって何か超能力的な力が備わるわけではありません。
仏教では生と死を切り離して語ることはありません。必ず「生死」(しょうじ)と熟語で語り、限りある有様を見つめることが今の「いのち」を見つめ慶ぶことに繋がります、先に浄土に往生された方々は尊いいのちを投げ出してそのことを伝えてくださっているのではないでしょうか?
葬儀(いかなる仏事も)とは御恩報謝(ごおんほうしゃ)であります。
by shojutemple
| 2018-12-15 20:13
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