人気ブログランキング | 話題のタグを見る

小豆島で遷仏勤行

先月のことですが、小豆島で俗に言う「墓じまい」のお勤めをしました。

仏様を遷(移す)、お引越しをすることで本来は「遷仏(せんぶつ)」と申します。

中学生の頃でしたか「鳴くよ鶯平安遷都」西暦794年に奈良から京都に都が移った(遷都)した年号をこうして覚えました、懐かしいです。

他にもお墓から遺骨を出して別の場所に移すことも遷仏と言います。

姫路港を出て1時間40分で小豆島福田港着、最終目的地の土庄町 西光寺から見下ろせる墓地まで約26km、40分程の行程です。

小豆島で遷仏勤行_f0350004_23152055.jpg
小豆島町福田港です


小豆島の瀬戸内が見渡せる国道26号線を走り到着したのがこちら
小豆島で遷仏勤行_f0350004_23160560.jpg

小豆島で遷仏勤行_f0350004_23172821.jpg
ピラミッドのように積まれた墓石の後ろに見えるのが西光寺です

ピラミッドの形に積まれた墓石は全て墓じまいされたものです、故郷小豆島に帰るのも年々少なくなり、様々な事情でこの地でお墓を維持するのが難しく、かといってそのまま放置も避けたい、

その悩みは決して都市部だけのものでは無く人口過疎地にこの悩みを抱えている人が多いようです。

この日、遷仏勤行終えてフェリーの中で思ったこと、それは時代と共に全てが変わり続けていき、多様化しているのは間違いなく、私の悩みも様々で、たとえ一つの悩みが解決しても、また次、また次と新たな悩みが生まれてきます。

何故でしょうか、それは誰もが逃れることのできない問題、老いること、病になること、そして最期には別れが・・それらを抱えてしか生きていくことができないという根源的な問題が苦悩の根源であるとも言えます。このような逃れられない生老病死の苦悩を乗り越えていく道を説くのが仏陀の教えです。

仏教は古い教え、今の時代に沿わないと聞きます、確かに次々と出てくる悩みの種類はその時々わります、しかしながら私たちの尽きない悩みの元は生・老・病・死の四苦で私たち誰もが持っている悩みと気づけば仏陀の教えは他人事ではないこの私のための教えと気づくことでしょう



ここには俳人 尾崎放哉(おざき ほうさい)終焉の地であり「小豆島尾崎放哉記念館」があります。
有名な自由律俳句「咳をしてもひとり」奥深く味わいたいです。

記念館は時間が無くて入館ならず、次回往訪の楽しみに取っておきます。




by shojutemple | 2022-08-30 13:13 | 日記 | Comments(0)